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代表者のブログ

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リスクマネージメントは最悪である&失敗をしないものは信ずるな (ドラッカー) 0

親しい会社の社長さんから今朝メールをいただきました。
以下の「ネットの書き込み、どこからがアウト」という日経のデジタル記事について知らせて下さるメールでした。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFP18003_Y2A610C1000000/

ツイーターやフェイスブックで個人が自由に情報を発信、受信できるようになったのですが、ちょっとしたつぶやきが思いもしないような事態を招く、という話です。
例えばゼンショーの従業員がツイーター上でノロウィルスに感染しているのに働かされている、という事をつぶやいて大問題になった、等の事が紹介されています。
要はこういったSNSの普及が経営上のリスクを生じさせている、という問題提起の記事でした。

そういう問題に対処しないといけないのは言うまでもないですが、それによってSNSの持っている可能性に目をつぶるのは愚の骨頂のように思いました。
そこで送って下さった社長さんには以下の内容のメールをお礼と共に返信しました。

「お知らせ有難うございます。
さっき航空会社とやり取りをしていました。旅行社のちょっとした配慮不足で自分の予約が確認できない事態になりました。そこには出張の手配を旅行社に頼んでいたのですが、その座席指定をしようと電話したら、名前で予約の確認が出来ず、予約番号などを求められました。聞いてなかったので、名前で検索できない理由を聞くと「個人情報の問題」でという事でした。つくづく不便な世の中になりました。

お知らせくださったSNSの件も同じような、リスク管理問題です。
確かにそういう事ありますし、用心せねばなりませんが、リスクを恐れて身動きが取れなくなることの方が恐ろしいです。
ドラッカーも「リスクマネージメントというものは最悪である」旨の発言(後述)をしています。具体的には「リスクを最小化しようという営みは最悪だ」と言っています。更に「経営とはリスクを取りに行くものだ」という事も言っています。

さしずめ、失敗を恐れ、真実から目をそむけ、糊塗し、現状維持を肯定するところに停滞と官僚化が進行する、という事です。
社長の送って下さった意図とは違うかもしれませんがそんなことを思いました。

大企業ほどそうですが、ガバナンスとかコンプライアンスとか一見それらしく見えて実際は中身のない概念に、がんじがらめになって死に体になっていくのです。
また挑戦意欲と創造性のない人にとってはそういうところが最高の逃げ場所、安住の地になっていきます。」

これは経営の話ですが、人生についても同じです。失敗を恐れるところに停滞が始まります。組織にとっても、個人にとっても失敗こそが成長の因子なのです。そのことをドラッカーはこのように書いています。

①あらゆる組織が、事なかれ主義の誘惑にさらされる。だが組織の健全さとは、高度の基準の要求である。目標管理が必要とされるのも、高度の基準が必要だからである。
成果とは何かを理解しなければならない。成果とは百発百中のことではない。百発百中は曲芸である。成果とは長期のものである。すなわち、まちがいや失敗をしない者を信用してはならないということである。それは、見せかけか、無難なこと、下がらないことにしか手をつけない者である。成果とは打率である。弱みがないことを評価してはならない。そのようなことでは、意欲を失わせ、士気を損なう。人は、優れているほど多くのまちがいをおかす。優れているほど新しいことを試みる。

「失敗をしないものを信用するな、人は優れているほど多くのまちがいを起こす。優れているほど新しいことを試みる」、初めてこれらの言葉に接した時、本当に勇気づけられました。

尚、以下にリスクマネージメントに関するドラッカーの言葉を貼り付けます。参考にしてもらえれば幸いです。

②経営科学がなぜ間違って使われているかを解くもう一つの鍵は、リスクに対する態度にある。経営科学は、その文献においても、企業活動への適用においても、最終目標としてリスクをなくすことや最小にすることに力を入れている。
企業活動からリスクをなくそうとしても無駄である。現在の資源を未来の期待に投入することには、必然的にリスクが伴う。まさに経済的な進歩とは、リスクを負う能力の増大であると定義できる。リスクをなくす試みはもちろんのこと、リスクを最小にする試みさえ、リスクを非合理的で避けるべきものとする考えが底にある。だがそのような試みは、最大のリスクすなわち硬直化のリスクを冒しているといわざるをえない。

③経営科学の主たる目的は、正しい種類のリスクを冒せるようにすることでなければならない。マネジメントのために、いかなるリスクがあり、それらのリスクを冒したとき何が起こりうるかを明らかにしなければならない。経営科学の文献に見られるリスクの最小化という言葉は、リスクを冒したり、リスクをつくりだすことを非難する響きがある。すなわち、企業という存在そのものに対する非難の響きがある。それは、ひと昔前のテクノクラートという言葉の響きを思い出させる。なぜなら、リスクの最小化という言葉は、企業を技能に従属させようとするものだからである。経済活動を、責任を伴う自由裁量の世界としてではなく、物理的に確定した世界と見なしている。これはまちがっているというより、最悪というべきである。

以上、本文が皆さんの挑戦的人生のスタートに役立てば幸いです。