久しぶりにブログ更新します。
先週、ほぼ20年ぶりにハウステンボスに行ってきました。
去年、ある調査の仕事で長崎に滞在しましたが、たまたま「ランタンフェスティバル」の期間中で、長崎の街が一層美しく印象的でした。
そこで、今年は家族にも見せてやろうと思い、ランタンフェスティバルから更に20年ぶりのハウステンボスとなったわけです。
長崎にはもう一つ再訪したい場所がありました。ハウステンボスから電車で10分ほど長崎に戻った川棚の駅前にある喫茶店、アンデルセンです。ここアンデルセンは超能力喫茶店として知る人ぞ知る有名店です。
私が初めてアンデルセンのことを聞いたのは20年以上前、船井幸雄さんからです。長崎の田舎町にすごい喫茶店があり、ソニーの創業者の井深さんが、訪れて驚愕し、ESP(超能力)研究所を作ったという話で、機会があれば一度行ってみたいと思っていました。
念願であった最初の訪問も家族旅行でした。出来たばかりのハウステンボスに行ったときに足を延ばしたのです。長女、長男はその時のことを覚えていると思うのですが、下の娘はまだ一歳でした。そこで、長崎行きを決めてから、彼女にもアンデルセンを見せてやりたい、と思っていました。
結論から言うと今回の長崎旅行で一番印象に残ったのはランタンフェスティバルでもなく、長崎の世界三大夜景でもなく、ハウステンボスのイルミネーションでもなく、やっぱりアンデルセンでした。
私は3度目の訪問です。2度目は当時親しくしていたガリバーの会長の羽鳥さんと一緒でした。過去2回はどちらもビックリの連続でしたが、今回も大きなビックリがありました。
私がアンデルセンを凄いと思うのは、勿論そのパフォーマンスにありますが、それと共に、マスコミの取材を一切受け付けないこと、またこれだけの内容を目の前で見せる料金がコーヒー一杯(以前は300円、今は500円)だ、という事です。またパフォーマンス以上に感心するのはマスターの久村さんの「お話」です。
今回久村さんは「世にいう霊能者や超能力者の本物、偽物の見分け方は法外な料金を取るか。取らないか」という事をおっしゃいました。全くその通りで、その意味では久村さんは本物です。私の経験でも、良いものは高いというのは幻想で、本当に良いものはリーズナブルです。
さて、アンデルセンで、一番議論になるのは、「あれはマジックか、超能力か」という事です。3度目の訪問で、これについては結論が出ました。それは両方だという事です。久村さんはマジシャンでありエスパーでもあります。
余談ですが、アンデルセンに行くには予約が必要です。以前は朝8時に行って整理券をもらって、10時に再訪するというやり方でしたが、それが電話による当日予約になり、今では先の予約も電話で取れるようになっていました(0956-82-5385)。
システムがそのように変わっていることを知らなかったのですが、たまたまキャンセルが入って席が空いていたので、11時からの“ステージ”を見ることが出来ました。よって予約の早い人が良い席に着けます。良い席はカウンターです。カウンター内の久村さんのパフォーマンスをいちばん身近に見れるからです。また久村さんとのやり取りも一番多く体験できます。
私たち一家は前日予約でしたので、一番遠く(と言っても久村さんから2mは離れていません)の椅子の上から拝見しました。高いところから見る感じでしたので、久村さんの手元が良く見えました。最初のカード(トランプ等)を使ったパフォーマンスには、マジックだと確信できることが2つほどありました。
そういうことがあるので、多分久村さんのパフォーマンスをマジックだと思う人が多いようです。久村さんもそのことを否定していません。実際、看板には「マジックパーラー」と掲げていらっしゃいます。
だから久村さんのパフォーマンスが全部マジックかというと、そんなことはありません。適切な表現ではないですが、玉石混交というように、パフォーマンスの半分は明らかに人知を超えた超能力です。過去3度の経験でありえないことが起こっているから、そのことは断言できます。
個人的なこともあるので具体的には書きませんが、一つだけ今回あったことを紹介しましょう。前述のように3度目の訪問は娘のためのものでした。きっと彼女にとっていい経験になると思ったからです。それは実際その通りになりました。
久村さんは知るはずがない娘の名前や誕生日を電卓を使った特別なやりかたで当てました。更に娘が今一番アドバイスがほしいことを当て、それに実に見事なアドバイスを下さりました。そのアドバイスは親の目から見ても、娘に一番必要なことでした。本人もそのことを感じたようです。冒頭の写真はその場で娘にと、久村さんに書いていただいた新渡戸稲造の言葉です。(見る人の心こころにまかせおきて 高根に澄める秋の夜の月)
最近は11時入店で、13時から17時ごろまで4時間ほどのパフォーマンスをされているようですが、私たち一家は帰りの飛行機の都合で15時半にはアンデルセンを出なければなりませんでした。そこで15時半にタクシーを呼んでいました。娘へのアドバイスが終わったのが、ちょうど15時半、必要なことは必要なタイミングで起こるという事を改めて認識しました。
帰り際に久村さんから「これからがエスパータイムで、すごいのを見せるのに」と言われました。前2回の訪問で、そのすごさは充分認識していましたが、今回もビックリだったので、次回4回目は時間ゆっくりとって行こうと思っています。
さて、今回のテーマ「見えないものを見、聞こえない声を聴く」です。
娘がこちらに戻ってから友人にアンデルセンでの体験を話ししたところ、「ありえない」と信じてもらえなかったと聞きました。仕方のない面もありますが、目に見えるもの、耳に聞こえるものしか信じられないというのは、一種の幼さです。
可視光線というのは人間の目に見える範囲の波長の電磁波を指しますが、目に見えない赤外線や紫外線が存在しないという人はいないでしょう。
犬笛というものがあります。犬を呼ぶときに使う笛ですが、犬笛の音の波長は人間には聞こえないものです。見えなくとも、聞こえなくとも「存在する」ものがあるというのは少し冷静になれば判ります。
すべてのものは波動ですから、波動が違うものは見えませんし、聞こえません。物理学や量子力学で言う多次元世界はそういうもので、宗教やニューエイジで言う霊界や神界も同様です。見えないから「ない」のではないのです。
世界的に活躍している物理学者、村上斉さんの「宇宙は何でできているか」は優れた物理学の入門書です。その冒頭には、物理学の最先端の研究で判ったのは全宇宙の4%ほどで、残り23%は暗黒物質(ダークマター)、73%は暗黒エネルギー(ダークエナジー)である、という記述があります。
判りやすくいうと「96%は何があるのか判らない」という事です。暗黒という言葉に意味があるわけではありません。要は正体がつかめない、宇宙の96%は何で出来ているか判らない、という意味です。私は判ったと思っている4%も怪しいと思っています。
ソクラテスの「無知の知」という言葉を知らない人はいないでしょう。「自分自身が無知であることを知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い」「真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まる」という事です。
アンデルセンを体験して、もしくは話を聞いて、ありえない、マジックだ、と断言する人はソクラテスの言うこの基本的態度が欠けています。
大きくは人類の進化、進歩、小さくは一人の人間としての成長は、「不思議なこと」に対する知的興味から始まります。無知のものに対する知的興味が進化と成長への入り口になります。そして、それは若い心に宿ります。
最後に大好きなサミュエルウルマンの青春の一節を紹介して本稿を締めます。いつまでも若い心を失わないようにしたいものです。
「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ……年は七十であろうと、十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。人は自信と共に若く 失望と共に老ゆる。希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる。大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない……。」