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日本資本主義の精神 松下幸之助さんの経営 0

前回ソニー凋落の真因と言うテーマで以前書いた拙稿をこのブログに掲載しましたが、一言で言うとそれは経営の欧米化であり、言葉を変えれば日本的経営からの逸脱にあったという事です。今日はそれに関してもう少し踏み込んで書いてみます。

過去も「日本的経営とは何か」というテーマで論考したり、参考図書の紹介をしてきましたが、先日小室直樹さんの「日本資本主義崩壊の論理」を読みました。この本は1992年の刊行で、いま読み返してみるとちょっと時代錯誤な点はあるのですが、改めて日本的経営に関して考える良い機会となりました。

小室さんのこの著作は山本七平さんの「日本資本主義の精神」を解説した一種の解説書です。しかし、その解説に若干違和感があり、改めて山本さんの原著の方をざっと読み返してみました。改めてその要所を読んでみて「日本資本主義の精神」が大変な名著で、2012年の今、このタイミングでこそ大きな学びがあると感じました。

そんな折、おそらくアマゾンでの検索のせいでしょうが、アマゾンがお奨め商品で「滴(しずく)みちる刻(とき)きたれば」という松下幸之助さんの伝記本全4巻を紹介してきました。副題に「松下幸之助と日本資本主義の精神」とあります。早速購入して見ました。 いつものようにまだ全部読んでおらずところどころ飛ばし読みしただけですが、アマゾンは良い本を紹介してくれました。

バブル崩壊以降、ミルトンフリードマンの新自由主義がもてはやされ、自由な市場と競争を重視する欧米的経営を金科玉条とする風潮が蔓延、年功序列や終身雇用をやり玉に挙げて日本的経営を旧守と貶める事が当たり前になっていきました。 そして結果、世界は行き詰りました。 アメリカの「ウォール街を占拠せよ」運動の背景にある極端な格差社会の出現は、多かれ少なかれすべての先進国、新興国においても共通する現象です。欧米型の資本主義の行き詰まりは明らかなのです。

「滴みちる刻きたれば」の中で著者の福田和也さんは、欧米型の利益追求型の新自由主義的合理性に対してこれを否定せず、それはそれとして間違っていないが、これと対極にある松下幸之助の経営理念や経営行動からも「学ぶべき点があるのではないか」という筆遣いをされています。 この本が書かれたのは2001年から2005年にかけて、サブプライム問題、それ以降の大混乱以前なのでそのような論調になったのでしょう。

しかし、今現在、このタイミングでは「行き詰った欧米型資本主義に変わる新しい世界システムへの解として日本資本主義があり、その理想形が松下幸之助の経営にあった」と主張するのが正しいと思えます。 松下電器を再生させたのは中村邦夫さんである、と言われています。検索したら「社名をパナソニックに変え、松下幸之助神話を壊した男」であるという記述がありました。

中村さんは2000年に社長に就任し、聖域なき松下電器の構造改革を断行し、松下電器を再生させたそうです。いわば中興の祖です。しかしこの再生、中興は永続きしませんでした。 正直なところ詳しい事は知りませんが、私は日産のゴーンさんにしろ、中村さんにしろ、本当に「世に言われているような名経営者なのか?」と大いに疑念があります。

それは何故か、経営とは難しいものですが、単純でもあります。 利益を上げるという事においては「経営資源を儲かっている事業に集中させ儲かっていない事業は売り飛ばし、余剰な人員はリストラする、更にサプライヤーに否応ないコストダウンを要求する。」事が一番当たり前の手で判り易い打ち方です。その意味では安易です。 これは大抵の事業再生の処方箋でしょう。ただしこれは応急措置で、根本策かどうか、結果企業が永続するかどうかとは別問題です。

根本策か、永続性のある策かを問う上で、問題となるのは一連の意思決定と経営行動に、無から価値を生み出すような創造性があるのかと言う点のように思えます。 経営とは詰まる所、創造でないでしょうか。創造をやめるところに停滞が始まります。 ソニーやホンダ、また松下電器にはこの創造がありました。そしてそれを近年まで維持してきたことに繁栄の基盤があったのです。

繰り返しになりますが、経営とは常に創造性こそが最も重要なテーマで、これをないがしろにするところ永続的な繁栄はありません。 不勉強ですのでゴーンさんや中村さんに創造性が皆無とは言い切れませんが、少なくとも選択と集中、更にリストラ、コストカットに創造性は必要ありません。 その断行に必要な資質をあえて挙げれば「無慈悲、かつ利己的な思いきり」でしょう。 こんなことを書くと暴論と言われそうですが、その誹りを避ける為に幸之助さんのエピソードを紹介したいと思います。

大正7年の創業以来好業績を続けていた松下電器ですが、昭和初期の世界恐慌、株の大暴落で昭和4年末遂に売り上げ急減(半分に)、在庫過多、そして倒産の危機を迎えます。 おりしも病床にあった幸之助さんの元に幹部の井草歳男らが集まり、幸之助さんの枕頭で「売り上げが半分になるという業績の急激な悪化への対応として、生産を半減し、従業員も半減する、と言う方針を説明しました。 これに対して病床の幸之助さんは、このように述べられたと言います。

「生産は即日半減する。しかし従業員は一人も解雇してはならぬ。工場は半日勤務とする。従業員への日給は全額支払う。その代わり店員は休日を廃してストック品の販売に努力する。かくして持久戦を続け、状況の推移を見よう。さすれば資金の行き詰まりもきたさずに維持が出来る。半日分の工賃の損失は長い目で見れば一時的損失で問題は無い。将来益々拡張せんと考えているときに、一時とは言え折角採用した従業員を解雇することは、経営信念の上に自ら動揺を来すことになる」

このエピソードはあまりにも高名ですが、この方針を聞いた従業員は奮起し、団結して販売に奮闘し、翌2月には在庫を一掃し、春には生産体制も元に戻すことが出来たと言います。 これこそが、苦境に陥った時の正しい対処法の見本に思えます。これは松下だけの固有の例ではありません。

また幸之助さんは事業経営に成功するための条件として以下の3点を上げています。 ① 発展性のある職種を選ぶ ② 運命 運がないとダメ ③ 経営の才能 才能とは言い換えると使命感 私が特に注目するのは③の使命感です。 この伝記の著者の福田さんは幸之助さんが使命感に目覚めるきっかけとして天理教本部の訪問のエピソードを上げられています。

この天理教訪問を契機に松下幸之助さんにとって経営は「聖なる事業」となったと言います。 その時に感慨と感激を幸之助さん自身がこう述べています。 「きょう目のあたりに見たあの盛大ぶり、盛大と言えば実に盛大だ。繁栄と言えば実に繁栄だ。山なす献木(建築用木材の供物)、教祖殿建設の信者の喜びに満ちた奉仕ぶり、塵一つない本殿の清掃ぶり、会う人ごとの敬虔な態度・・(中略)・・一糸乱れざるその経営、経営と言えば当てはまらないかもしれないが、信仰に目覚めぬ自分にとっては一つの経営と考える事もやむを得ない事でないか。立派な経営、すぐれた経営とは何か、そこでは多くの人が喜びに満ちて活躍している。真剣に努力している。実に優れた経営だと、感嘆を大きく、深くするほど、真個の経営という事がしきりと頭に浮かんでくる。」

更に、 「家に帰ってもなお考えが尽きない。夜、深更に及んで更に深く考えさせられた。そして両者を比較してみた。某教(天理教)に事業は多数の悩める人を導き、安心を与え、人生を幸福ならしめる事を主眼として全力を尽くしている聖なる事業である。我々の業界もまた人間生活の維持向上のうえに必要な物資の生産を為し、必要欠くべからざるこれもまた聖なる事業である。我々の仕事は無より有を出し、貧を除き富をつくる現実の仕事である。貧を失くすことは、人生至高の尊き聖業であると言い得る。・・(中略)・・人間生活は精神的安定と、物質的豊かさによってその幸福が維持され向上が続けられるのである。その一つを欠いてもならない。我々の事業も、某教の経営も同等に聖なる事業であり、同等になくてはならぬ経営である」

この「聖なる事業」というコンセプトは日本型経営、日本資本主義を考える上での重要なキーワードです。そしてこれは前述の創造性とも深い関わりがあります。 事業経営を堅固にそして永続性のあるものとするそのキーワードは「聖なる事業」であることを自己定義することです。故にそこに使命感が生まれます。

皆さんよくご存じでしょうが、ドラッカーが紹介した3人のレンガ職人のエピソードを紹介して本稿を閉めたいと思います。 炎天下にレンガを積んでいる三人のレンガ積みのそばを、旅人が通りかかりました。 旅人は、それぞれ三人のレンガ積みに「あなたは何をしているのですか?」と声をかけました。旅人の問いに対する答えは三者三様でした。

一人目のレンガ職人は「見れば分かるだろう・・・。私は親方の命令でレンガを積んでいるんだ。辛い仕事だよ。」と答えました。 二人目のレンガ職人は「私はレンガを積んで塀を造っているんだ。辛いけれど、家族と生活のためなんだ。」と答えました。 三人目のレンガ職人は「私はレンガを積んで多くの人が救われる立派な教会を造っているんだ。やりがいのある仕事だよ」と答えました。

一人目の職人は、命令でただ働く職工です。二人目の職人は家族のために働くという目的は持っていますが、辛い仕事と言う職業観からは逃れていません。 三人目の職人は、多くの人が救われる教会を造るという目的を意識してレンガを積んでいる職人です。そこには辛い仕事という職業観はありません。

ドラッカーはこの三者三様のそれぞれの答え方の中に仕事の意義をどのように考えるかによって、仕事への取り組み姿勢が変わり、結果としてその成果も大きく違ってくる事を表現しました。仕事の意義をしっかりつかんで働く人は、他者から「やらされている」という発想から解放され、イキイキとした創造性のある働き方が出来ます。人生の目的が変われば人生の質が変わるのです。 この目的意識が創造性と深い関係にある事は言うまでもありません。

本稿がこれからの経営を考える上で皆さんの参考になれば幸いです。