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代表者のブログ

最近思った事、気がついた事

「見えないものを見、聞こえない声を聴く」 0

 

久しぶりにブログ更新します。
先週、ほぼ20年ぶりにハウステンボスに行ってきました。


去年、ある調査の仕事で長崎に滞在しましたが、たまたま「ランタンフェスティバル」の期間中で、長崎の街が一層美しく印象的でした。
そこで、今年は家族にも見せてやろうと思い、ランタンフェスティバルから更に20年ぶりのハウステンボスとなったわけです。

長崎にはもう一つ再訪したい場所がありました。ハウステンボスから電車で10分ほど長崎に戻った川棚の駅前にある喫茶店、アンデルセンです。ここアンデルセンは超能力喫茶店として知る人ぞ知る有名店です。

私が初めてアンデルセンのことを聞いたのは20年以上前、船井幸雄さんからです。長崎の田舎町にすごい喫茶店があり、ソニーの創業者の井深さんが、訪れて驚愕し、ESP(超能力)研究所を作ったという話で、機会があれば一度行ってみたいと思っていました。


念願であった最初の訪問も家族旅行でした。出来たばかりのハウステンボスに行ったときに足を延ばしたのです。長女、長男はその時のことを覚えていると思うのですが、下の娘はまだ一歳でした。そこで、長崎行きを決めてから、彼女にもアンデルセンを見せてやりたい、と思っていました。

結論から言うと今回の長崎旅行で一番印象に残ったのはランタンフェスティバルでもなく、長崎の世界三大夜景でもなく、ハウステンボスのイルミネーションでもなく、やっぱりアンデルセンでした。


私は3度目の訪問です。2度目は当時親しくしていたガリバーの会長の羽鳥さんと一緒でした。過去2回はどちらもビックリの連続でしたが、今回も大きなビックリがありました。


私がアンデルセンを凄いと思うのは、勿論そのパフォーマンスにありますが、それと共に、マスコミの取材を一切受け付けないこと、またこれだけの内容を目の前で見せる料金がコーヒー一杯(以前は300円、今は500円)だ、という事です。またパフォーマンス以上に感心するのはマスターの久村さんの「お話」です。


今回久村さんは「世にいう霊能者や超能力者の本物、偽物の見分け方は法外な料金を取るか。取らないか」という事をおっしゃいました。全くその通りで、その意味では久村さんは本物です。私の経験でも、良いものは高いというのは幻想で、本当に良いものはリーズナブルです。

さて、アンデルセンで、一番議論になるのは、「あれはマジックか、超能力か」という事です。3度目の訪問で、これについては結論が出ました。それは両方だという事です。久村さんはマジシャンでありエスパーでもあります。

余談ですが、アンデルセンに行くには予約が必要です。以前は朝8時に行って整理券をもらって、10時に再訪するというやり方でしたが、それが電話による当日予約になり、今では先の予約も電話で取れるようになっていました(0956-82-5385)。


システムがそのように変わっていることを知らなかったのですが、たまたまキャンセルが入って席が空いていたので、11時からの“ステージ”を見ることが出来ました。よって予約の早い人が良い席に着けます。良い席はカウンターです。カウンター内の久村さんのパフォーマンスをいちばん身近に見れるからです。また久村さんとのやり取りも一番多く体験できます。


私たち一家は前日予約でしたので、一番遠く(と言っても久村さんから2mは離れていません)の椅子の上から拝見しました。高いところから見る感じでしたので、久村さんの手元が良く見えました。最初のカード(トランプ等)を使ったパフォーマンスには、マジックだと確信できることが2つほどありました。
そういうことがあるので、多分久村さんのパフォーマンスをマジックだと思う人が多いようです。久村さんもそのことを否定していません。実際、看板には「マジックパーラー」と掲げていらっしゃいます。


だから久村さんのパフォーマンスが全部マジックかというと、そんなことはありません。適切な表現ではないですが、玉石混交というように、パフォーマンスの半分は明らかに人知を超えた超能力です。過去3度の経験でありえないことが起こっているから、そのことは断言できます。
個人的なこともあるので具体的には書きませんが、一つだけ今回あったことを紹介しましょう。前述のように3度目の訪問は娘のためのものでした。きっと彼女にとっていい経験になると思ったからです。それは実際その通りになりました。


久村さんは知るはずがない娘の名前や誕生日を電卓を使った特別なやりかたで当てました。更に娘が今一番アドバイスがほしいことを当て、それに実に見事なアドバイスを下さりました。そのアドバイスは親の目から見ても、娘に一番必要なことでした。本人もそのことを感じたようです。冒頭の写真はその場で娘にと、久村さんに書いていただいた新渡戸稲造の言葉です。(見る人の心こころにまかせおきて 高根に澄める秋の夜の月)

最近は11時入店で、13時から17時ごろまで4時間ほどのパフォーマンスをされているようですが、私たち一家は帰りの飛行機の都合で15時半にはアンデルセンを出なければなりませんでした。そこで15時半にタクシーを呼んでいました。娘へのアドバイスが終わったのが、ちょうど15時半、必要なことは必要なタイミングで起こるという事を改めて認識しました。

帰り際に久村さんから「これからがエスパータイムで、すごいのを見せるのに」と言われました。前2回の訪問で、そのすごさは充分認識していましたが、今回もビックリだったので、次回4回目は時間ゆっくりとって行こうと思っています。

さて、今回のテーマ「見えないものを見、聞こえない声を聴く」です。
娘がこちらに戻ってから友人にアンデルセンでの体験を話ししたところ、「ありえない」と信じてもらえなかったと聞きました。仕方のない面もありますが、目に見えるもの、耳に聞こえるものしか信じられないというのは、一種の幼さです。

可視光線というのは人間の目に見える範囲の波長の電磁波を指しますが、目に見えない赤外線や紫外線が存在しないという人はいないでしょう。
犬笛というものがあります。犬を呼ぶときに使う笛ですが、犬笛の音の波長は人間には聞こえないものです。見えなくとも、聞こえなくとも「存在する」ものがあるというのは少し冷静になれば判ります。

すべてのものは波動ですから、波動が違うものは見えませんし、聞こえません。物理学や量子力学で言う多次元世界はそういうもので、宗教やニューエイジで言う霊界や神界も同様です。見えないから「ない」のではないのです。

世界的に活躍している物理学者、村上斉さんの「宇宙は何でできているか」は優れた物理学の入門書です。その冒頭には、物理学の最先端の研究で判ったのは全宇宙の4%ほどで、残り23%は暗黒物質(ダークマター)、73%は暗黒エネルギー(ダークエナジー)である、という記述があります。
判りやすくいうと「96%は何があるのか判らない」という事です。暗黒という言葉に意味があるわけではありません。要は正体がつかめない、宇宙の96%は何で出来ているか判らない、という意味です。私は判ったと思っている4%も怪しいと思っています。

ソクラテスの「無知の知」という言葉を知らない人はいないでしょう。「自分自身が無知であることを知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い」「真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まる」という事です。
アンデルセンを体験して、もしくは話を聞いて、ありえない、マジックだ、と断言する人はソクラテスの言うこの基本的態度が欠けています。

大きくは人類の進化、進歩、小さくは一人の人間としての成長は、「不思議なこと」に対する知的興味から始まります。無知のものに対する知的興味が進化と成長への入り口になります。そして、それは若い心に宿ります。

最後に大好きなサミュエルウルマンの青春の一節を紹介して本稿を締めます。いつまでも若い心を失わないようにしたいものです。

「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ……年は七十であろうと、十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。人は自信と共に若く 失望と共に老ゆる。希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる。大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない……。」

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大事なのは法律より、文字にされていない常識や倫理である 0

「大事なのは法律より、文字にされていない常識や倫理である」

守るべきルールをあらかじめ文字にして決めておかねばならない理由は一言で言えば「程度が低いから」です。 優れた組織は前回紹介したように基本的な価値観のみをシンプルに表現しており、細かなルールなどは決めず、あとは各人の常識に任せます。

伝説のサービスで有名なデパート、ノードストロームの従業員マニュアルには1つのルールしか書いてありません。 「Rule 1:Use your good judgment in all situations.」 直訳すれば「いかなる状況においても、貴方の優れた判断力を使ってください」という事です。意訳すれば「どんな時もあなたの良識で判断してください」という事です。

だから大事な事は良識、基本的な価値観という事なのです。であるが故に、サービスに優れた企業、組織は採用において自社の提供するサービスや企業文化との親和性の高い「良識のある人材」を求めます。頭の良さや容貌は二の次、三の次です。

人間は「自分で決められる」いわば裁量度の高い環境において初めて高い創造性が発揮できるものです。マニュアルで縛られた、またルールだらけの組織では創造性が育まれない事は言うまでもないですね。

話は違いますが、今日書きたかったのは全く別の話です。 環境問題や原発問題で優れた問題提起をされている中部大の武田邦彦教授が民主党政権を厳しく弾劾している記事を見つけました。 教授の言っているのは「野田民主党政権のやっている事は法律違反ではないが、それ以前の公序良俗、いわば人間としての当たり前の倫理にもとる事をやっている。これは厳しく弾劾されねばならない。」という事です。

以下その抜粋を貼り付けます。 増税の可否を論評してはいけない・・・ 最低の公序良俗« 増税案に賛成票を投じた民主党議員は次の選挙で立候補できない 武田邦彦 (中部大学)

テレビ、新聞、雑誌、そして評論家や有識者が「増税の可否」を論じている。でも、あなたたちが戦後一貫して言ってきたことをこんなに簡単に放棄して良いのか? 戦後教育を受けた私は、若い頃から「選挙に行け、選挙に行け」とうるさく言われた.一時は、選挙に行かなければ「悪い奴」と言われたこともあった。 そんなとき、「なぜ、選挙に行くの?」などと質問でもしたら罵倒されたものだ。「民主主義のもっとも大切なことは「清き一票」だ。その権利を行使しないのは国民じゃない!」などと言われた。

とくに、「選挙に行け」と国民を叱ったのはテレビ、新聞だったし、「選挙に行かないのは政治意識が低い証拠だ」と非難したのは評論家、知識人などであった。 でも、なんで投票に行かなければならないのだ??  2009年に国政選挙に行って、公約を信じ、マニフェストに書いてあることが実施されると信じて民主党に投票した人の権利はどこに行ったのだ??

NHKを始めとした報道、雑誌、月刊誌などは「投票した有権者の権利は消滅している.ウソをついて当選した議員の権利は存在する」というスタンスだが、この考え方は「公序良俗」に反する。 ダマされた方の権利は存在し、ダマした方は権利を失い、罰を受けるのが日本社会であり、法律であり、公序良俗である。

たとえば、訪問販売で予約を取り、玄関のベルを鳴らし、相手の了解を取って説明して、契約書に印鑑をついてもらっても、説明した内容がウソだったら、その契約は無効である。 形式が整っているから権利が確定するのではなく、実質が問われる。 さらに具体的に金品を採ったら「詐欺罪」が成立する。

だから、2009年の選挙は増税案に民主党議員が賛成したら、その時点で「契約は無効」になるので、賛成した議員は国会議員をクビになる。 こんな場合に国会議員をクビにする法律は要らない。もともと国民との契約に違反しているのだ。 そして現実に税金を徴収し始めたら詐欺罪が適応される。首相だからとか、議員だからとか、高度な政治的判断などではない。これはきわめて低度の問題だ。

どんな社会でも「法律に書くまでもない公序良俗」は存在する。選挙というのは「演説し、有権者がそれを聞き、判断して投票する」ものである。演説した内容がウソであることは選挙の概念に入っていない。候補者は「当選したら自分はこれをやる」と宣言する。 それができない場合もあるが、「故意にやらない」というなら当選は無効である。まして「正反対の政策を実施する」場合は、懲罰付き無効だろう。

つまり、これから先も立候補できないなどの制裁が必要だ。その理由は、ウソをついて国政にムダな時間を使ったのだから、何らかの罪が生じるからだ。 仮に増税案が民主党の賛成で可決された場合、日本の選挙制度自体は意味が無くなる。従って、次の選挙までに「選挙制度をどうするか」について決めなければならない。

どうするかを決めるのはもちろん「裏切られた国民」である。 まず、第一に2009 年の選挙に民主党として出馬して当選した議員で、増税案に賛成した議員は立候補できないという臨時規定が必要だ。まして「公約違反の行為を強制し、それに従わないと党議拘束で罰する」としているのだから、幹部は永久追放が適当であり、民主党という党に所属している議員は個別の考えや行動によらず立候補できないのもまた当然である。

理由は単純、第一に選挙公約をハッキリ破ったこと、第二に日本の選挙を愚弄したことである。これだけ理由がハッキリしていれば、異論はかなり少ないはずだ。 第二に世界的に恥ずかしいけれど、「重要公約について正反対の政策を実施したり、故意に公約の実施を遅滞したら、議員の資格を失い再選挙となる」という規定を設ける必要があろう。

そして、この規定は贈賄より重たいと思われる.その理由は「贈賄」なら、「金品を渡して投票を依頼する」のだから、「選挙民の希望する政策を実施する可能性は50%」ということになるが、「重要公約と正反対の政策を実施する」というのは「マイナス100%」だからである。

第三に「重要公約に反する政策を実施した場合、国政に損害を与えるので、ウソをついて訪問販売したよりも社会に多大な損害を与えるので、適切な刑罰が必要である。 このような規定を定めるのは日本国として恥であるが、なにしろ国会議員が「ウソをつく訪問販売員」よりたちが悪いことが明々白々なのだから、臨時でもこのような規定が必要だろう。

問題はテレビ、新聞、雑誌、評論家、有識者がこの問題で立ち上がらないことだ.これは「政治課題」の問題ではない.「増税すべきか否か」が難しい政治課題であっても「選挙を実質的に破壊する」という行為は政治でも何でも無いからだ。

増税は大きな政治的問題であるが、それより「選挙が破壊される」方が巨大である。もし、今回の増税案が可決したら、日本の選挙自体が成立しなくなるのは間違いない.有権者が「選挙演説を信用できない」のだから、選挙自体が実施できない。 このような危機の時にテレビ、新聞、雑誌が「通常の報道」をしているのはいかにも奇妙で、あらゆる危機に対応できず、完全に報道や論説が臨場感を失っているとしか言えない。

思い出せば日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落した時、NHKのニュース番組のアナウンサーがなにか遠くで起こった事故のように人ごとで報道していたことを思い出す。身の回りで何が起こっているのか、それがどのぐらいの問題なのか、瞬時に捕らえる力が求められる。

これは福島原発事故で、現実に福島の子供達が被曝しているのに、記者はすべて福島から退避し、定点カメラだけを残し、「大丈夫」を繰り返した2011年3月の状態が、原発事故でビックリしたということではなく、すでに日本の報道が臨場感を失っていることを示すものだろう。 以上 引用

どうでしょう? 「武田さん、よくぞ言ってくれました」と思いますね。 今の野田民主党政権は政治史上最も劣悪な連中です。「人を殺してはいけない」のは法律に違反するからでなく、倫理にもとるからです。あまりに当たり前すぎて文章化、ルール化していない事を破壊するこのような連中を放っておいてはいきません。

一方良いニュースもあります。それは毎週金曜日に首相官邸前で行われている大飯原発再稼働に反対するデモです。先週は二十万人近くに膨れ上がっています。ツィッターやフェイスブックでの呼びかけに応えた一般の人が集まっているものですが、これほどの大規模デモの動きをマスメディアは殆ど報道しません。もうNHKも大新聞も存在価値を失ってます。

元外務官僚の孫崎享(まごさきうける)さんがこのように呟かれています。(ツイッターより)

1日BBCニュース「原発再稼働で抗議」が現時点で世界ニュースの中の注目度三位。勿論日本関係トップ。これを念頭に明日の新聞見て見よう。世界の代表的報道機関BBCと世界一販売数の読売の格差を見て見よう。

報道の馬鹿さ加減。朝日ですら反原発官邸前デモを「主催者発表で15万~18万人」と報じている。現段階で読売online記事なく、社会面どんな記事があるかと見たら「北海道、列車に子グマ衝突・死ぬ、乗客けがなし」「シンシン、公開中止前倒し…妊娠?でぐったり」。ふざけた新聞だ。   ツィッター引用以上

今週にでも大飯原発が再稼働すれば、運動は更に広がって増税反対も含めた運動に発展していきそうです。私もたまたま金曜は用事があって東京にいないので参加できていませんが、今週か来週には首相官邸を取り囲むこの運動に参加しようと思います。日本でも初めて本格的な脱組織、横の連帯での自由な国民運動が起こりつつあります。

さて、今日言いたかったのは、文字にしたルール、法律よりも大事なことがある。これは経営組織を含めてあらゆる組織において重要だ、という事です。 以上

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リスクマネージメントは最悪である&失敗をしないものは信ずるな (ドラッカー) 0

親しい会社の社長さんから今朝メールをいただきました。
以下の「ネットの書き込み、どこからがアウト」という日経のデジタル記事について知らせて下さるメールでした。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFP18003_Y2A610C1000000/

ツイーターやフェイスブックで個人が自由に情報を発信、受信できるようになったのですが、ちょっとしたつぶやきが思いもしないような事態を招く、という話です。
例えばゼンショーの従業員がツイーター上でノロウィルスに感染しているのに働かされている、という事をつぶやいて大問題になった、等の事が紹介されています。
要はこういったSNSの普及が経営上のリスクを生じさせている、という問題提起の記事でした。

そういう問題に対処しないといけないのは言うまでもないですが、それによってSNSの持っている可能性に目をつぶるのは愚の骨頂のように思いました。
そこで送って下さった社長さんには以下の内容のメールをお礼と共に返信しました。

「お知らせ有難うございます。
さっき航空会社とやり取りをしていました。旅行社のちょっとした配慮不足で自分の予約が確認できない事態になりました。そこには出張の手配を旅行社に頼んでいたのですが、その座席指定をしようと電話したら、名前で予約の確認が出来ず、予約番号などを求められました。聞いてなかったので、名前で検索できない理由を聞くと「個人情報の問題」でという事でした。つくづく不便な世の中になりました。

お知らせくださったSNSの件も同じような、リスク管理問題です。
確かにそういう事ありますし、用心せねばなりませんが、リスクを恐れて身動きが取れなくなることの方が恐ろしいです。
ドラッカーも「リスクマネージメントというものは最悪である」旨の発言(後述)をしています。具体的には「リスクを最小化しようという営みは最悪だ」と言っています。更に「経営とはリスクを取りに行くものだ」という事も言っています。

さしずめ、失敗を恐れ、真実から目をそむけ、糊塗し、現状維持を肯定するところに停滞と官僚化が進行する、という事です。
社長の送って下さった意図とは違うかもしれませんがそんなことを思いました。

大企業ほどそうですが、ガバナンスとかコンプライアンスとか一見それらしく見えて実際は中身のない概念に、がんじがらめになって死に体になっていくのです。
また挑戦意欲と創造性のない人にとってはそういうところが最高の逃げ場所、安住の地になっていきます。」

これは経営の話ですが、人生についても同じです。失敗を恐れるところに停滞が始まります。組織にとっても、個人にとっても失敗こそが成長の因子なのです。そのことをドラッカーはこのように書いています。

①あらゆる組織が、事なかれ主義の誘惑にさらされる。だが組織の健全さとは、高度の基準の要求である。目標管理が必要とされるのも、高度の基準が必要だからである。
成果とは何かを理解しなければならない。成果とは百発百中のことではない。百発百中は曲芸である。成果とは長期のものである。すなわち、まちがいや失敗をしない者を信用してはならないということである。それは、見せかけか、無難なこと、下がらないことにしか手をつけない者である。成果とは打率である。弱みがないことを評価してはならない。そのようなことでは、意欲を失わせ、士気を損なう。人は、優れているほど多くのまちがいをおかす。優れているほど新しいことを試みる。

「失敗をしないものを信用するな、人は優れているほど多くのまちがいを起こす。優れているほど新しいことを試みる」、初めてこれらの言葉に接した時、本当に勇気づけられました。

尚、以下にリスクマネージメントに関するドラッカーの言葉を貼り付けます。参考にしてもらえれば幸いです。

②経営科学がなぜ間違って使われているかを解くもう一つの鍵は、リスクに対する態度にある。経営科学は、その文献においても、企業活動への適用においても、最終目標としてリスクをなくすことや最小にすることに力を入れている。
企業活動からリスクをなくそうとしても無駄である。現在の資源を未来の期待に投入することには、必然的にリスクが伴う。まさに経済的な進歩とは、リスクを負う能力の増大であると定義できる。リスクをなくす試みはもちろんのこと、リスクを最小にする試みさえ、リスクを非合理的で避けるべきものとする考えが底にある。だがそのような試みは、最大のリスクすなわち硬直化のリスクを冒しているといわざるをえない。

③経営科学の主たる目的は、正しい種類のリスクを冒せるようにすることでなければならない。マネジメントのために、いかなるリスクがあり、それらのリスクを冒したとき何が起こりうるかを明らかにしなければならない。経営科学の文献に見られるリスクの最小化という言葉は、リスクを冒したり、リスクをつくりだすことを非難する響きがある。すなわち、企業という存在そのものに対する非難の響きがある。それは、ひと昔前のテクノクラートという言葉の響きを思い出させる。なぜなら、リスクの最小化という言葉は、企業を技能に従属させようとするものだからである。経済活動を、責任を伴う自由裁量の世界としてではなく、物理的に確定した世界と見なしている。これはまちがっているというより、最悪というべきである。

以上、本文が皆さんの挑戦的人生のスタートに役立てば幸いです。

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ZAPPOS WHO?  ザッポスとは何者か 0

今、ロサンゼルスにいます。一昨日私がコーディネイトする研修ツアーでラスベガスでザッポス本社を訪問しました。2時間に満たない滞在でしたが、私もその前後に詳しく解説しましたので、今回の研修参加者の皆さんはザッポスに対して理解を深め、ザッポス体験をすることが出来たと思います。
ザッポスは今、最も勉強になる企業の一つです。
そこで知らない人もいるでしょうから少しザッポスについて解説しましょう。

ザッポスは10年程前に創業された靴のオンライン販売企業です。
ザッポスとして成功を収めた後、現在はアマゾンに買収されています。
でもザッポスの経営体制はほぼそのまま維持されています。トニーシェイを中心にした経営体制が素晴らしいからです。

そのトニーシェイ(台湾系アメリカ人)が創業者です。彼はフェイスブックのザッカーバークと同じくスタンフォードの出身で学生のころに起業したのも同じです。確か現在38,9歳だったと思います。

ザッポスの特徴はウェブサイトを見ればわかります。
http://www.zappos.com/

まずトップページから始まってどのページを開こうが左上の一番目立つところにカスタマーサービスの電話番号が乗っています。
普通のオンライン販売企業は電話番号にたどり着くのが大変なのは皆さんお分かりですね。最低5回はクリックしないといけないと言います。

要はオンライン販売企業は顧客と話したがっていないのです。お客とのやり取りをコスト、面倒、やっかいな事、と考えているのです。
だからどこのオンライン企業もコールセンターの担当者は短時間にどれだけ沢山のお客を処理したかが、問われるのです。即ちどれだけ早く電話を切るか、という事です。

ザッポスのお客との最長通話記録は昨年トニーシェイの「ザッポス伝説」を読んだ時に7時間とありましたが、現在は8時間超になっています。

ザッポスではコールセンターは「カスタマーロイヤルティーセンター」と呼ばれ、最も重視されている部門です。電話による注文は全売り上げの5%程度ですが、コールセンターに大変なコストをかけています。

何故なら、電話が唯一顧客との人間的なアナログでの接点だからです。そしてすべての顧客は一度は電話してくるものだ、という事をザッポスが理解しているからです。
その一回の顧客との接点を顧客との人間的つながりを深める、生涯のザッポスファンになってもらう機会として考えています。

ザッポスのミッションは「幸せを配達する」(Delivering Happiness)です。トニーシェイが去年のエイプリルフールに「ディズニーを訴えてやる」というジョークをツイターで飛ばした話が話題になりました。
ディズニーランドが「地上で一番幸せな場所」とキャッチフレーズにしているには問題がある、ザッポスこそそれにふさわしい場所だ、というのがその趣旨ですけれど、上記のザッポス伝説を読むとこれが冗談に思えない彼らのやっている事のすごさが判ります。
アップルはアイフォンでフェイスブックはSNSで世界を変えましたが、同様にザッポスも靴のオンライン販売で世界を変えている会社なのです。

以下簡単にザッポスの事を箇条書きで紹介しておきます。興味お持ちなら本を読んでみて下さい。

ザッポスとは何者か
① 返品の送料も無料、365日間OK。交換希望があれば交換する商品を先に発送する会社。
② カスタマーサービスでベストになりたかったからドロップシップ(メーカーによる直送)をやめ、何百万のアイテムを扱えるフルフィルメントセンター(物流センター)を作った会社。
③ コールセンターはカスタマーロイヤルティーチームと呼ばれCFOであれ、法務担当役員であれ全員がカスタマーロイヤルティーチームを体験する会社。しかも4週間。
④ ソーシャルネットワーク戦略の先駆企業、クチコミを最も有効なマーケティング手段とする会社。
⑤ コールセンターの最長通話記録が8時間を超える会社。
⑥ 顧客の信頼と愛を勝ち取り、サービスで「ワォ!」を提供する会社。
⑦ 楽しく仕事が出来て社員を家族のようにする会社。

ザッポス体験とは何か
以下ザッポスの社員が語るザッポス体験とはなにかというコメントを数例紹介します。
① ザッポス体験とは顧客と従業員に正しく対応する企業文化の事を言います。
② 他人の為に正しい事をやろうとするのがザッポス体験です。
③ 一言で言えば自由。そして人のために何かやろうという気持ちこれがザッポス体験。
④ ただ商品を売るんじゃないんです。私はここが小売業だとは思っていません。ザッポス体験とは世界を変えたいと思う事です。ビジネスの世界で人とどう接するかという事なんです。
⑤ 主人が障害を持っていて、ここ数年で家族を亡くしました。会社に行って楽しむことが人生の支えなんです。

ザッポスが最も大事にしている事
そんなザッポスが最も大事にしている2つの事があります。
① ザッポスの中核理念である10のコアバリュー
1.サービスを通じて,WOW(驚嘆)を届けよう。
2.変化を受け入れ,その原動力となろう。
3.楽しさと,ちょっと変わったことをクリエイトしよう。
4.間違いを恐れず,創造的で,オープン・マインドでいこう。
5.成長と学びを追求しよう。
6.コミュニケーションを通じて,オープンで正直な人間関係を構築しよう。
7.チーム・家族精神を育てよう。
8.限りあるところから,より大きな成果を生み出そう。
9.情熱と強い意思を持とう。
10.謙虚でいよう。

② そしてこれらのコアバリューを行動様式として組織と個人の生活に定着させる企業文化です。

ザッポスがすごい本質的な理由
ザッポスが素晴らしいのは上記のコアバリューと企業文化の確立、浸透を通じて、社員のやる気、創造性を存分に引き出している、という事です。
やる気と創造性を引き出す秘訣は「内発的動機付け」(楽しい、成長実感がある、世のため人のために役に立っている)を重視することですが、これを自然に実行しています。
ちょっと簡単に解説します。
① 給与は決して高くない、親会社のアマゾンより25%低い。低い分は福利厚生と企業文化の維持に使われる。
② また上位職になればなるほど世間より相対的に給与は安くなる。創業者のトニーシェイの報酬は年36,000ドルでしかない。
③ ザッポスで働くことは何より楽しい体験である。
④ 成長できる会社 チャレンジと失敗から学ぶことを奨励されている。
⑤ 世の中、人のために役に立つことが出来る。「幸せを届ける」がミッション、使命。
⑥ 裁量権が社員に委ねられている。
⑦ 仕事と人生の一致。コアバリューは会社の中でのみ大事なのではない。プライベートライフにおいても信条化している。

どうでしょう。
これからの企業経営の在り方の良いお手本がザッポスです。経営者、経営幹部は是非ザッポスの事を勉強し、そして一度訪問してください。
ザッポスの子会社の「ザッポスインサイト」という会社が、ザッポス流の経営を普及させるための一種のコンサルティン活動をやっています。
今回の訪問もそのインサイトのスタッフが我々を案内してくれましたが、「私の方がうまく説明できるのになー」と思うことがしばしばありました。
だからここの訪問は私のコーディネイトが必須です。行きたい人は私に声をかけて下さい(笑)。
ザッポスだけではないこれからの経営を深く考えさせられる企業を訪問し、学ぶツアーを企画します。今期はもう二度ほどいけたらいいと思っています。

ロサンゼルス トーランスにて

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創造性とはなにか 0

前回の記事はフェイスブックにも転載しましたが、そこに友人がコメントをくれました。 彼女は「「経営とは詰まるところ“創造性”…今まではそう考えてはいけないんだと思っていました。飛び出さず抜きん出ず維持存続というのが正しい会社のあり方というか。・・・とても窮屈でしたが(笑)」と書いてきました。 コメントを返そうと思いましたが、皆さんにも共有する為にフェイスブックと合わせてここでも追記します。 創造性とは何かという事です。

一般に創造性とは何かを創造する、例えば芸術家のようなイメージ、また企業、事業を立ち上げる起業家のようなイメージを持ちますが、それは結果的な創造です。 しかし一つの事業を立ち上げ、成功まで導き、更にそれを維持発展していくためにはいくつもの要素が必要です。 そしてその要素の多く、もしくは重要な要素は「運」によってもたらされる、と言っていいでしょう。 成功とは結局「運」なのです。 だから前回の記事でも幸之助さんは3つの成功要素を上げて、①やろうとする事業が伸びている業種であること、②運がある事、③経営の才能=使命感があること、と「運」を3要素に入れられているのです。幸之助さんなら努力をいれそうなものですが、そうではなくて運なのです。

努力が不要とは言いません。ただ使命感があれば人間は当然努力するものです。また努力は成功のカギかと言うとそうではありません。楽々成功する人もいますからね。 セレンディピティーと言う言葉があります。知りたい人はネットで調べてほしいのですが、一種の幸運を引き寄せる能力を言います。 この言葉を初めて知ったのは、ブラジルのセムコ社の経営者のリカルド・セムラーの著作でです。セムラーは私が最も尊敬する経営者の一人で、彼ほど革新的な経営者はいないと思います。興味あれば以下を読んでみて下さい。

これからの企業がどうあるべきかの処方箋がここにあります。ちなみにセムラーの理想は「月曜の朝が待ち遠しい会社」です。 そういえばラスベガスのシーザースパレスのわきに「セレンディピティー」と言うレストランがありました。再来週ラスベガスに行くので、寄ってみましょう。運が付くかもしれません。 話が横道にそれましたが、セレンディピティーもユングの言うシンクロニシティーも同じような概念です。皆さんも思いもしなかった偶然の不思議に何度も出会っているでしょう。そういった偶然は何故起こるのでしょう。

結論的に言うならそれらは意識の創造によってもたらされるます。 既に物理学は「すべての現象は意識の存在を抜きにしては考えられない」という事を証明しています。そのあたりを勉強したい人は以下を読んでみて下さい。 意識の創造性と言いますが、これは実はおかしな言葉なのです。 意識というのは創造を営みにしている存在です。その意味で意識は創造そのものなのです。高い意識は高い現実を創造し、低い意識は低い現実を創造する、と言えば良いでしょうか。 それを理解するのは以前このブログに書いた以下の記事が参考になります。

 ブログ記事

ここで言いたかったことは、あり方が状況に反映される、という事です。状況を変えたければ先ず貴方自身の在り方を変えましょう、という事です。 そして、在り方をもう少し具体的に言えば「意識の在り方」と言えます。 意識の在り方をもう少し物理学的に説明すれば意識には波動が高い意識と低い意識があるという事です。波動が高い(周波数が高い)意識と言うのは使命感と情熱によって加速した、ワクワクした意識です。低い意識とは絶望、不安、迷い、無気力状態にある意識です。 だからたびたび引用しますが、以下のブログに書いた「ワクワクを追いかける」という事が大事だという事になるのです。

ブログ記事2

要は意識の高低、意識の周波数に相応しい現実が引き寄せられるのです。 こういうと「引き寄せの法則」「ザ・シークレット」などと同じ論調になりますが、これらには若干違和感があります。 引き寄せるというよりそういった現実を選択する、と言うほうが良いでしょう。 実際私たちは瞬間瞬間無数の現実の中から自分の周波数に相応しいチャネルを選び出してそれを体験しているというのが宇宙の実像のようです。量子力学や物理学がその観点が正しいことを証明しつつあります。 以下の映像はそのことを理解する一助になるでしょう。

バシャール動画

ここでは「創造の4つの法則」を上げています。 一つ目の法則 「自分は存在する」 二つ目の法則 「一つもののはすべてであり、すべてのものは一つである」 三つ目の法則 「与えるものは受け取るものである」 四つ目の法則 「変化だけが変わらないものである」(ただし上の3つの法則は除く) 創造にはこの4つの原則しかありません。お分かりになりますか? ここで我々に有益なのは2番目と3番目です。 2番目であるが故に3番目があるのです。 結局一つの意識しか宇宙にはありません。すべての意識は根源で一つに繋がっています。その片鱗をユングは普遍的無意識とか集合的無意識と呼んで表現しました。 一つの意識が無数の意識と其々の現実を作り上げているのが宇宙の実相です。

よく人間を神さまの分霊(わけみたま)、分身であるとするのはそういう意味です。 だから本質において私は貴方であり、貴方は私なのです。 私が貴方に与えたものは、私が私に与えたものです。だから私が受け取るのです。 た だこの3次元世界には空間と時間があります。(本当はそういうものはありません。3次元的現実の中でのみ存在します。時間や空間が3次元的幻想である事も量子力学は証明しつつあります)。 だから私が与えたものは確かに私が受け取るのですが、この世では一定の時間がかかります。すぐ受け取りません。 またつい私たちは「この人に上げたのだから、この人から見返りがくる」と思うのですが、それもそうはいきません。

すべては自分の分身ですから、どこから見返りがやってくるか判りません。しかし受け取るです。 時空を超えて我々が世界に押し出したものは必ず自分が受け取ります。 ついでにいうと2012年という年はその実現の速度が加速度的に早まる分岐点になります。だからドンドン創造性が高まる、いわば思いの実現速度は加速していきます。 話がまた脱線しましたので、元に戻します。 運に関してです。与えるものが受け取るものですから、良い運が欲しければ、人のためになる事をすればいいのです。

幸之助さんは自身の事業を聖なる事業=世のため人の為、人類を幸せにするための事業、であると位置づけ、それを最も重要な意思決定の基準としたのです。そのことが松下幸之助をして日本一の経営者たらしめたのです。 前に西田文朗さんの「他喜力」を紹介しました。 この本のサブタイトルには「他人を喜ばせると幸運が押し寄せる」とあります。 先ずは身の回りの家族、友人、更に多くの人を喜ばせるとますます幸運が大きくなります。西田さんは運の種類として「ツキ」「強運」「天運」の3つを上げています。 最上を天運として、天運を得るにはとにかく他人を喜ばせる、他人を幸せにする事が大切だと力説されています。このことは全く正しいです。

なぜ、そうなるかは私の上記の説明で判りますね。 量子力学とか、すべては一つの意識であるとか、ちょっと難しかったかもしれませんが、結論は簡単です。 今ちょうど再来週のアメリカ研修の現地で講話するコンテンツを作っているのですが、そこで解説しようと思っている優良企業の事例も全部同じです。 即ち「他者への奉仕、サービスを生き方にするとき人生も経営もうまくいく」という事です。そう言う考え方が自然と身についている企業や人は成功するようになっているのです。 この話、お役にたてば幸いです。

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